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ダンスが結ぶ地域と世界
「世界とつながるダンス教室」主宰 中込孝規さん

2017年7月28日UP | headline, Top

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 平塚市在住のストリートダンサー、中込孝規さんはもともとは企業に勤めるサラリーマン。ふとしたきっかけで自分の可能性を信じ世界に飛び出し、1年半で18カ国57都市をまわり1万人以上の子どもたちにダンスを教えてきた。さらに日本とアフリカをインターネット中継で繋ぐプロジェクトも実施。それらの経験を元に帰国後、ここ平塚で「世界とつながるダンス教室」を主宰している。

 中込さんがダンスを始めたのは高校生の頃。憧れていた兄の影響だった。当時、中込さんにとってダンスとは自分を認めてもらう手段で、楽しむというよりは上手いか下手か、勝つか負けるかの世界だった。ダンス自体は好きでのめり込んではいたが、周囲のレベルの高さもあり、全国選手権で優勝してもどこか素直に自分を肯定できなかったという。唯一、ダンススクールで講師として子どもたちに教えている時だけは勝負の世界を離れ、純粋にダンスを楽しめる時間だった。とはいえ「ダンスを仕事にするとは思っていなかった」という言葉通り、就職を機にダンスから遠ざかっていく。

初めの一歩
 社会人3年目の終わり頃、転機が訪れる。教育関係の仕事に就いていた中込さんはとある交流会で出会った人に「ダンスを教えたい」ということを話したという。返ってきたのは「やってみたらいいじゃん」という何の変哲もない言葉。だがその言葉に背中を押され中込さんは一歩を踏み出す。オファーをもらっていた人に連絡をとり、レッスンを開講。様々な人の協力を得て成功のうちにレッスンは終了し、中込さんは「やりたいことってできるんだ」と震えるほどの感動を覚えたという。今まで、兄の影響でダンスをはじめ、先輩と一緒に全国優勝して、何かに自分から踏み出したことはなかった。この出来事がはじめて自分が主体的に動いた体験だった。ふと部屋の壁を見るとその昔描いた夢「世界一周」の文字。もう迷いはなかった。

世界へ旅立つ
 2014年、会社を退職した中込さんはいよいよ世界一周の旅へ出る。最初はフィリピンへ語学留学という形でスタート。そこで出会った人にダンスレッスンの話を持ちかけると地元の子どもたちを集めることができた。わずか10人ほどへのレッスンだったが、国や言葉の違いはダンスで乗り越えられるのだと確信した。ダンスを教えながらアジアからアフリカへと各地を転々とする中で、ラオス・ルアンパバーン国際映画祭、ジンバブエ・ハラレ国際芸術祭などのイベントに自身がダンサーとして出演したことも。1年半に及ぶ旅で18カ国57都市、1万人以上の子どもたちにダンスを教えた。

世界と繋がる
 帰国後、中込さんは「ダンスを通じて子どもたちの可能性・世界を広げる」「世界中の子どもたちが友達になれる社会を作りたい」という思いから世界中で講演会やワークショップを開催してきた。その中で、岐阜とルワンダをインターネット中継で繋ぐダンススクールを行った。旅の間も「学生時代に教えていた子とルワンダの子をダンスで繋いでみたら」という考えはあった。この挑戦は大成功に終わり、「イベント後には号泣しました」という程の達成感だった。
 この体験を元に2016年には「日本とアフリカの子ども2000人をインターネットを通じダンスで繋ぐ」という試みで再びアフリカへ。この時はクラウドファンディングを活用し旅の資金を募った。以前の世界一周は自分のためだったが、今回は子どもたちのため。子どもたちを、世界を変えようと旅に出た。ガーナ、ウガンダ、ルワンダの3カ国で活動を行い、インターネット中継で日本と交流。2度目の旅も充実の閉幕となった。

平塚から世界へ

 現在、中込さんは旧知の仲間がいる平塚で「世界とつながるダンス教室」を開いている。週ごとのレッスンに加え、月に1度程度のペースで世界各国との中継交流を行っている。ダンス交流のあとはお互いに「将来の夢は何ですか」「どんなご飯が好きですか」などと質問を投げかける。子どもたちは自然とモニターの前に集まり、名前を呼びあっては笑顔を見せる。「肌の色が違っても、言葉が通じなくても、心は通じ合える」その思いは深まるばかりだ。
 レッスン以外にも講演やイベントで各地を忙しく飛び回る日々。ダンスで繋がる世界は無限に広がり、活動の幅も広がるばかりだ。彼が歩んできた足跡が、日本と世界を繋ぐ架け橋になっていく。

中込さんホームページ
http://gome-takanori.com/