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平塚出身の社会学者 福井準造 没後80周年記念し北図書館で展示会

2017年3月24日UP | headline, Top

1面0324-1 現在、平塚北図書館(丸島隆雄館長)で開催中の小さな展示会「知られざる福井準造 社会問題研究者から農政家、政治家へ」で紹介されている福井準造(1871-1937)の名前を聞いたことがあるだろうか? 中国にはじめて社会主義を紹介した人物として中国国内ではよく知られているが、それとは逆に日本国内での知名度は低い。社会学者として、農政家として、政治家として様々な活躍をした準造。今週はそんな彼の知られざる姿を追った。

 福井準造は1871年、現在の平塚市豊田小嶺に生まれた。地主の子として生まれた準造は18歳の時に上京し慶応義塾で英文学を修める。卒業後に社会主義思想、社会問題
、文学などの研究・執筆を開始。
 この時に出版されたのが翻訳書『十九世紀列国史』と『近世社会主義』の2冊の本だ。特に1899年に出版された『近世社会主義』は中国に初めて社会主義を紹介したとされ、歴史的にも高い評価を得ているという。だが日本国内では長らく評価されることもなかった。というのも自身が地主階級である準造はいわゆる社会主義を推める立場になかった。本に書かれたのも社会主義という思想そのものについてであり、その立場はあくまで研究者だったようだ。

見直される実績

 こういった背景が準造の評価を低くした側面があるが、転機が訪れたのはその死後、昭和30年のことだった。中国の歴史家、郭沫若が来日した折、「自分がはじめて社会主義を学んだのは福井準造の『近世社会主義』からだ」と語ったのだという。だがその場にいた日本人は誰も準造のことを知らず、これを機に改めて準造は社会主義学者として見直されることになる。
 『近世社会主義』執筆後、準造は自身の家業でもある農業の問題に関心をうつす。1903年にはバラバラな形で整っていなかった水田を企画的に整備しなおし、排水改良するなどの耕地整理を県下で初めて手がける。1908年には立憲政友会から立候補して衆議院議員として2期を務めた。その後は東京米穀商品取引所常務理事、日本倉庫株式会社監査役などに就任し実業家としても活躍したという。

祖父としての準造

 そんな準造の晩年を知るのが孫の福井榮一さん(85)だ。5歳の頃に死別しており、あまりそれらしい記憶はないそうだが「準造に連れられて電車に乗る時に、いつも来る車両じゃなくて流線型のちょっと違うやつじゃなきゃ嫌だ。とか駄々をこねたみたいですね」と笑う。もっとも「母には『おじいちゃんをそんな寒空の下で待たせて!』みたいな小言を言われて。そっちの記憶の方が大きいです」と頭をかく。またこんなエピソードも。「祖父は和食ではなくトーストとミルクティーなどを朝食にする人だった。それで、マグの底に砂糖が溶け残ったものを飲ませてくれるんだけど、甘いものがほしくてよく横に座っていた」と懐かしむ。社会学者、農政家、衆議院議員と様々な顔を持つ準造も孫の前ではひとりの“おじいちゃん”だったことが窺い知れる。
 1937年12月10日、準造は66歳でこの世を去った。没後に郭沫若の発言から再評価されるもその知名度は今も決して高くはない。館長の丸島さんは「住みやすいまちも大切だけど、地元の歴史や偉人にも目を向けてほしい」と願い、準造の没後80年となる今年、展示会を開催している。展示会は来月16日まで開催しているので足を運んでみてはどうだろう。
問い合わせ:北図書館☎︎53−1232